アニメ 夏のあらし! 第9話 HERO(ヒーローになる時、それは今)
ついに、来るべき時を迎えた、といっても良いくらいいろんな意味でターニングポイントになりうる重要な話でした。例の面白い話もそうですし、肝心の中身も原作の1.5話分という今までにない進行スピードによって、物語は大きなうねりを見せ始めたようです。
その面白い話に関しては今回も冒頭からスタートし、それも、どこかで聞いたような随意なる学び舎での物語だったりします。しかし、最後の決まった台詞を言おうとしたところで、やよゐは倒れてしまいます。今までおまけでしかなかったのに、突如のアクシデントによってこれからの本編と無理なくシンクロさせていく手法はお見事です。これにはオチもあったりしますがそれは後ほど。
さて、肝心の本編では原作派にとってはお待たせともいえる、例の平行世界云々の話に突入しました。一やあらしが過去に飛んで人助けをすることで、助けられた人とそうでない人、二つの平行世界が存在するのではないか。しかも、本来死んでしまう人を救うことで、別の人の存在が消えてしまうのでは、という平行世界ならではの議論が繰りひろげられました。
現時点ではリセットできる世界なのでは、という仮定の話に過ぎません。この手の話はこれまでにも別の作品で散々語られていましたし、夏のあらしも過去を改変すれば別の世界に飛んでしまう線で話が進められています。そもそも今回までの話では並行世界の可能性が高いようにしか思えないことでしょう。
だがしかし、原作通りなら次回、そこら辺の説明を兼ねた捻りの利いた種明かしの片鱗を見せてくれるはずですから、それを見てもらえれば、夏のあらしという作品はただものではない、ということを実感してもらえるものと思っています。それくらい、今話の重要性は極めて高いですし、次回への前振りとしての意味合いもこれまでにないくらいの壮大さを感じられてなりません。
とはいえ、EDを見るとキャストにネタバレがあったことに気づきちょっと残念。こういうのはもう少し配慮があってもよかった気がします。
それはそれとして、それにしても1985年は懐かしいものですね。この年はスーパーマリオが登場してファミコンが正に全盛期へと駆け上がっていく年でした。原作では8ビットとファミコンのみでしたが、アニメでは変わりにいろんなソフトのタイトルが所狭しと貼られていました。ほとんどがファミコンソフトで一部MSX(ハイドライドね)がありましたが、残念ながら右端のファンタ~が最初判りませんでした。
それならと調べてみたところ、タイトルが判明しました。その名もファンタジアンというもので、機種もPC8800シリーズという非常に懐かしいパソコン向けソフトだったのです。ちなみに自分は未プレイでして、ゲームとしてもそれこそ黎明期に相応しいウィザードリータイプのダンジョンにウルティマタイプの戦闘システム、という今では古典的なRPGだったようです。そういえば、当時は家庭用からパソコンまでごちゃ混ぜに並べて販売してて、その光景が今でも目に焼きついています。
今と比べると当時のゲームなんてショボイグラフィックにしか見えないでしょうが、一が「凄くないところが凄い」というように、そんなグラフィックの中に夢が一杯詰まっていたのも確かで、だからこそ空前のファミコンブームというものがあったのだと思います。
閑話休題
ついつい懐かしさのあまり脱線してしまいました。さて、加奈子が本編に堂々と登場し周りの状況も少しずつ整理されてきました。SF的なカラクリの謎に関することも含めて、次回以降は絶対に見逃せない展開が続くこと間違いなしです。
そうそう、面白い話のオチについて。まるで「まいっちんぐ」とほぼ同じ説明でありながら「その指導者の決まった・く・ち・ぐ・せ」で判る人にはお馴染みのポーズから「絶望(した)」とくれば、もうそれ以上の解説は不要ではないかと。エンドカードでもそれを示唆するかのようなイラスト(というよりその作者)になってます。いずれも製作したのは同じシャフトということを抜きにしても、素晴らしいネタのコラボレーションだったのではないかと。
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その面白い話に関しては今回も冒頭からスタートし、それも、どこかで聞いたような随意なる学び舎での物語だったりします。しかし、最後の決まった台詞を言おうとしたところで、やよゐは倒れてしまいます。今までおまけでしかなかったのに、突如のアクシデントによってこれからの本編と無理なくシンクロさせていく手法はお見事です。これにはオチもあったりしますがそれは後ほど。
さて、肝心の本編では原作派にとってはお待たせともいえる、例の平行世界云々の話に突入しました。一やあらしが過去に飛んで人助けをすることで、助けられた人とそうでない人、二つの平行世界が存在するのではないか。しかも、本来死んでしまう人を救うことで、別の人の存在が消えてしまうのでは、という平行世界ならではの議論が繰りひろげられました。
現時点ではリセットできる世界なのでは、という仮定の話に過ぎません。この手の話はこれまでにも別の作品で散々語られていましたし、夏のあらしも過去を改変すれば別の世界に飛んでしまう線で話が進められています。そもそも今回までの話では並行世界の可能性が高いようにしか思えないことでしょう。
だがしかし、原作通りなら次回、そこら辺の説明を兼ねた捻りの利いた種明かしの片鱗を見せてくれるはずですから、それを見てもらえれば、夏のあらしという作品はただものではない、ということを実感してもらえるものと思っています。それくらい、今話の重要性は極めて高いですし、次回への前振りとしての意味合いもこれまでにないくらいの壮大さを感じられてなりません。
とはいえ、EDを見るとキャストにネタバレがあったことに気づきちょっと残念。こういうのはもう少し配慮があってもよかった気がします。
それはそれとして、それにしても1985年は懐かしいものですね。この年はスーパーマリオが登場してファミコンが正に全盛期へと駆け上がっていく年でした。原作では8ビットとファミコンのみでしたが、アニメでは変わりにいろんなソフトのタイトルが所狭しと貼られていました。ほとんどがファミコンソフトで一部MSX(ハイドライドね)がありましたが、残念ながら右端のファンタ~が最初判りませんでした。
それならと調べてみたところ、タイトルが判明しました。その名もファンタジアンというもので、機種もPC8800シリーズという非常に懐かしいパソコン向けソフトだったのです。ちなみに自分は未プレイでして、ゲームとしてもそれこそ黎明期に相応しいウィザードリータイプのダンジョンにウルティマタイプの戦闘システム、という今では古典的なRPGだったようです。そういえば、当時は家庭用からパソコンまでごちゃ混ぜに並べて販売してて、その光景が今でも目に焼きついています。
今と比べると当時のゲームなんてショボイグラフィックにしか見えないでしょうが、一が「凄くないところが凄い」というように、そんなグラフィックの中に夢が一杯詰まっていたのも確かで、だからこそ空前のファミコンブームというものがあったのだと思います。
閑話休題
ついつい懐かしさのあまり脱線してしまいました。さて、加奈子が本編に堂々と登場し周りの状況も少しずつ整理されてきました。SF的なカラクリの謎に関することも含めて、次回以降は絶対に見逃せない展開が続くこと間違いなしです。
そうそう、面白い話のオチについて。まるで「まいっちんぐ」とほぼ同じ説明でありながら「その指導者の決まった・く・ち・ぐ・せ」で判る人にはお馴染みのポーズから「絶望(した)」とくれば、もうそれ以上の解説は不要ではないかと。エンドカードでもそれを示唆するかのようなイラスト(というよりその作者)になってます。いずれも製作したのは同じシャフトということを抜きにしても、素晴らしいネタのコラボレーションだったのではないかと。


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